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旅の免罪符

 江戸時代には、神宮などといういかめしい呼称はなかった。単に「お伊勢さん」といって親しまれ、毎年、30万人から40万人の参拝客があった。天照大神とは知っていても、たぶん皇祖神という意識も希薄だったのかもしれない。

 国の出入りが厳しく制限された時代に、伊勢参りといえば、誰でも通行手形が発行されたのだそうだ。手形すら持たずに、突然伊勢参りに旅立つ人も少なくなかったとされる。ぬけ参りといって、店先で掃除をしていた丁稚が突然いなくなり、数ヵ月後に帰ってくるということがよくあった。そんな丁稚であってもお伊勢さんなら仕方がないという風情もあったという。

 往復で1カ月以上もかかる伊勢参りにはお金もかかるが、それだけの満足感を与え続けたから、伊勢神宮には門前市をなした。30万人といえば、現代の感覚でいえば大したことではないが、汽車も自動車もない時代である。しかもこの地に一週間ぐらいは滞在したから、参拝客の存在感でいえば100万人とか200万人という感じではないかと思われる。当時の宇治山田の人口は2万人内外とされているから、その賑わいのほどが分かろうというものである。

 通常の伊勢参りとは別におかげ参りといわれた、爆発的な参拝が何回かあった。多い年には300万人から400万人が訪れたという。宮川の渡しで実際に乗船客を数えていたのだから、現在の観光客の数え方よりよっぽど正確な数字なはずである。今でも花火大会やサクラの季節に町の人口の何倍もの観光客が押し寄せたことがニュースになるが、時代は江戸である。歩くことしか移動の手段がなかった。その上、伊勢参りは通常、農閑期に旅立たれたから、晩秋から春先に集中していたから、その賑わいは想像を上回るものだったはずである。

 人々の旅は伊勢では終わらなかった。京都や奈良の古都巡りや熊野詣で、金比羅参拝にも及んだ。伊勢参り以外では通行手形が出にくかった時代であるから、一生の思い出にと名所旧跡を歩いた。伊勢参りはまさに旅の免罪符のようなものだったようだ。

 その後、親しくなった三重交通の服部忠勝さんから聞いた話である。1990年代に東京支社に勤務中、バス旅行を企画して会津若松の農協を訪ねたら、驚くべきことに伊勢講が現存していたという。服部さんがさらに驚いたのは、「香港に行きたいが、その露払いとして伊勢参りをしたい」という相手方の要望だった。しばらくは合点がいかなかったが、ハハーンと気付いた。まだ免罪符の感覚が会津には残っていたのだった。その団体客はめでたく伊勢神宮参拝の後に関西国際空港から香港へと旅立ったそうだ。(伴 武澄)

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