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2009年8月

倭と大和と日本

 ヤマトタケルノミコトは別名、小碓命。景行天皇の皇子で日本神話の英雄として登場する。九州の熊襲を討伐し、次いで東の平定を命じられる。東征の途上、斎宮として伊勢の地にあった叔母の倭姫命を訪ね、「父は私に死ねというのか」と嘆く。倭姫命は伊勢神宮にあった天叢剣(草薙剣)を授けた。三種の神器の一つとされる。

 とまぁ、これは誰でもが知っている神話であるが、伊勢の地に住むと、日本という国の成り立ちが気にならざるを得ない。日本の国名で外国人が読めないだろう地名がある。最たるものは「大和」と「武蔵」だろうと思っている。「音」でも「訓」でも、どう逆立ちしても「やまと」だとか「むさし」とは読めないが、普通の日本人はほとんどが読めてしまうのである。

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宇治と山田

 伊勢市はかつては宇治山田町といった。宇治山田町は、明治22年の町制施行によって宇治と山田が合併して誕生し、同39年に宇治山田市となった。伊勢市と呼び変えたのは昭和30年のことである。宇治も山田も丘陵をはさんだ別の町なのである。

 天照大神を祀る内宮があるのが宇治で、豊受大神を祀る下宮があるのが山田である。別の町といったのは、水系が違うからである。宇治は五十鈴川のほとりにあり、山田は宮川と勢田川にはさまれた土地に発展した。

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旅の免罪符

 江戸時代には、神宮などといういかめしい呼称はなかった。単に「お伊勢さん」といって親しまれ、毎年、30万人から40万人の参拝客があった。天照大神とは知っていても、たぶん皇祖神という意識も希薄だったのかもしれない。

 国の出入りが厳しく制限された時代に、伊勢参りといえば、誰でも通行手形が発行されたのだそうだ。手形すら持たずに、突然伊勢参りに旅立つ人も少なくなかったとされる。ぬけ参りといって、店先で掃除をしていた丁稚が突然いなくなり、数ヵ月後に帰ってくるということがよくあった。そんな丁稚であってもお伊勢さんなら仕方がないという風情もあったという。

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宗教法人神宮

 津支局長となって最初の仕事は伊勢神宮へのお参りだった。2日後の日曜日に近鉄に乗って伊勢市に向かった。伊勢市駅を降りて、参道をしばらく歩くと大きな鳥居があってこれが伊勢神宮かと気付く。道案内は入らない。なんとそこは外宮といって豊受の神さまが祭られた社で、天照大神を祭る内宮はバスに乗っていかなければ行けないという。初めて内宮と外宮という二つの社があることを知った。ちなみにそれぞれ「げくう」「ないくう」と読む。

 伊勢神宮は天皇家の皇祖を祭る単なる神社ではないことは参拝をしたことのない人でも知っているが、内宮と外宮とあって、併せると125にも及ぶ社を抱えた巨大な神域であることは参拝して初めて知ることになる。これらの社は近隣市町村にまたがる約20キロ四方に点在する。20キロ四方といえば、東京都の23区部に匹敵する空間である。宗教装置としてはたぶん世界最大規模である。その広大な神域が1300年にわたり経営されてきたことに畏怖の念を感じざるを得ない。

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神戸と神田

 生まれ故郷の高知市に神田という地がある。「こうだ」と呼ぶ。市内を東西に流れる鏡川の南のかなり広い区域で、今は住宅地であるが、子どものころは鏡川が決壊したときの遊水地帯として田んぼだらけだった。東京にも下町に神田はある。少年時代から慣れ親しんだ地名であるが、三重にやってきて神田という地名が全国各地にあり、それぞれに特別の意味があることを知った。神社が所有する田んぼであり、収穫は神のものとされた。

 神戸の方は神社が所有した民で、三重県に三カ所ある。一カ所は鈴鹿市の伊勢神戸、もう一カ所は津市神戸、そして近鉄大阪線沿線の青山高原の麓に伊賀神戸駅がある。ともに「かんべ」と呼ぶ。鈴鹿市はサーキットとして世界的にも有名となっているが、地名としては新しい。昭和17年、神戸と白子など隣接する町村が合併して命名された。

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