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熊野を考える(3)

 9つの鬼を考えるヒントが東北にあった。八戸市は大きな都市で演歌にもたびたび登場する漁港がある。数年前に知り合った若松さんという人の出身地が九戸村であることを偶然知った。

「ということは一の二も三もあるんですか」
「四以外、一から九まで戸のつく地名があります。旧南部藩にある地名です」

 かつて南部藩に一戸から九戸まであった。戸は牧場の意味だそうで、源平の時代から馬を育てるため、かの地に官営牧場が八つあったというのだ。

 同じように一 から九までの「鬼」が熊野にいたのだとしたら面白い。その場合、「鬼」は水軍である。そもそも軍隊は「第一師団」というように部隊を数字で呼ぶ習わしがある。陸軍は「戸」、そして海軍は「鬼」が元祖だと考えられないだろうか。

 問題は二木(鬼)や三木(鬼)だという地名がいつごろからあったのかということである。郷土史を細かく調べていけば、分かる話なのだが、筆者の場合、いまのところそこまで手が回らない。

 九鬼という姓については、ウェッブ上で説明がある。ウィキペディアには「出自は詳しくわかっていない。九鬼浦に移住した熊野本宮大社の八庄司の一派が地名から九鬼を名乗ったと『寛永諸家系図』に記されているが、異論が多い。南北朝時代に京都で生まれた藤原隆信が伊勢国佐倉に移住したのちに九木浦に築城し、九鬼隆信を名乗ったとする説もある」とあるからそう古いことではない。

 また「戦国武将の家紋」には次のように書かれてある。

 “くき”という字は、元来、峰とか崖の意で、岩山・谷などを指すという。また“くき”のは、柵の意で、城戸構えのあったところからきたともいわれる。

 九鬼氏というのは、熊野本宮大社の神官の子孫で、紀伊の名族として知られている。それとは別に、熊野別当の九鬼隆真が紀伊牟婁郡九鬼浦に拠って、子孫が繁栄して一族をなしたものがある。さらにこの九鬼隆真の子の隆良が志摩国波切村に移住して、志摩の九鬼氏ができた。

 九鬼氏は熊野八庄司の一つといわれ、八庄司のひとつ新宮氏であろうとされるが、熊野三山の別当家のどれかの支族であろう。

 ちなみに現在の熊野本宮の宮司は九鬼家隆氏といい、本宮の説明板には「鬼のつの(田の上のノ)のない字で、角がないから『鬼』ではなく『神』つまり『くかみ』と発音する」といったようなことが書いてある。

 また節分の折には「『鬼は内、福は内』とか 『鬼は内、福は内、富は内』とか、(『鬼』というのは古来『神』に通じていた として)『福は内、カミは内』とかというように唱えたという話が、『甲子夜話』(肥前 平戸藩主松浦静山の随筆)等に伝わっている」ということのようだ。

 

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