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2007年10月

熊野を考える(2)

 経済評論家で有名な故三鬼陽之助氏は尾鷲の出身だった。尾鷲も熊野の一部である。その尾鷲の西端の海岸線に三木浦という寒村がある。三木もその昔は「三鬼」だったから、たぶん陽之助氏の祖先は三木浦にいて、いつの時代か尾鷲に移ったはずである。三木浦の三木小学校の戦国時代、三鬼新八郎の居城があったところである。

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吉良川に富をもたらした紀伊の備長炭

室戸市吉良川に漆喰(しっくい)壁の美しい町並みが残っている。
古くから林業が盛んだった。木材や炭を京阪神に売り込んで富を築いた。

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熊野を考える(1)

 紀の国は木の国であり、鬼(き)の国でもある。つまり紀の国は木がたくさん繁っていて、鬼がいる土地柄ということになる。多くの本に書いてある。筆者の考えではない。イメージとしては、深い樹林が一帯をおおっていて、昼なお暗い。中上健次の世界でいえば『木の国、根の国』となる。ならば鬼ってのは何なのか。思いを語りたい。

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むかしの公証証書だった熊野牛王符

熊野牛王符というものがある。明治までごく普通に流通した。通貨ではない。証書の一種である。公証役場というものが現在残っているが、契約書をしたためる場合に公証役場は印を押した証書に書くことで社会的信用が増すのである。

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■ダイダラボッチと世田谷代田

20070912_waraji_3  職場で「ダイタラボッチ」を話題にしていたら、横の編集スタッフが「世田谷代田」の「代田」の由来がくだんのダイダラボッチだと言い出した。
「うそだと思ったら、サイトを見てごらん」という。
 まさかと思ったら、どうやらそういう言い伝えがあるらしいのだ。

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■小嶋千鶴子さんが到達したパラミタの世界

Dsc_0053  伊勢にやってきて2年半となったが、来月この地を去ることになった。多くの人にどこがよかってですかと聞かれる。自然でいえば、伊勢神宮の杜と熊野古道の風景となる。人間がつくったものでいえば菰野(こもの)町のパラミタ美術館の存在が圧倒的だった。

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■一日神領民として参加した遷宮のお木曳き

Dsc_0128  2006年5月6日、一日神領民となって伊勢神宮でお木曳き行事に参加した。
 昨年6月、木曽山中で切り出した神木を伊勢神宮まで運び入れて以来、7年後の式年遷宮に使う神木が次々と伊勢市に集まっている。125の社と鳥居すべて を建て替えるのに全部で1万本のヒノキが必要とされるから膨大な量だ。

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■日永追分から白子まで歩いて考えたこと

Img_4268  2006年4月16日の日曜日、伊勢街道を一人歩いた。東海道からの分かれ目となる四日市市の日永追分から鈴鹿市神戸(かんべ)を経て白子までの約15キロである。旧道の半分は農村部であるが、残りの半分はくねくねと往事をしのばせる古い家並みがいまも残る。

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■神武天皇から飛行艇に飛躍する

Img_4182  紀州・賀田の宿の二階から久々に荘厳な朝焼けを見た。早起きはするものだ。刻々と変化する東の空に季節感はないが、やはり春の息吹を感じさせるものがあった。というより、紀伊半島の南端はそもそも暖かいのだ。

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■伊勢の国津神は神風という思い

Dscf0016_2  三重県に来 てから2年が過ぎた。一番多く訪れたのはやはり伊勢神宮である。平均すれば月に2回は訪ねている。内宮を参拝するとき、必ず別宮の風日祈宮(かぜひのみの みや)にも立ち寄る。風日祈宮は五十鈴川の辺にあり、風の神さまである級長津彦命(シナツヒコノミコト)を祀る。外宮にも風宮があり、同じシナツヒコを祀 る。

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■遷宮の本義-再生の遺伝子

筆者 神宮司庁 石垣仁久

 皇室第一の重事
                        
 南北朝時代、北朝年号の貞治2年(1363)という年に皇大神宮権禰宜の興兼(おきかね)が編纂した『遷宮例文』は、平安末期の長暦2年(1038)か ら嘉元2年(1304)まで266年の間に5回行われた式年遷宮の貴重な記録を集めています。

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■日本の祭の原点を見せる尾鷲のヤーヤ祭

Img_4132_2  朝起きると一面の雪。昨夜から大寒波が列島を襲っている。午後3時、支局の後輩と津を発って尾鷲のヤーヤ祭を見に行った。尾鷲には5時ごろ着いた。
  町は静かな面持ちでどこで祭があるのか分からない。尾鷲神社で法被を着ていた男性に聞いた。
 

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■津が誇る陶工、川喜田半泥子

860  川喜田半泥子(1878-1963)という陶工が津にいた。土をこねて焼くことを生業としていた訳ではないから、正確にいうと陶工ではない。土をこねる芸術家だ。 

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■砂糖菓子「榧太郎生」と久子さん

 数日前、津市内のいきつけの喫茶店で「榧太郎生」という砂糖菓子を食べさせてもらった。「かやたろお」と読む。カヤの実のお菓子は初めてである。少しだけ渋味があるがなんとも上品な味だった。

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■民間人が郵便配達する伊勢湾の神島

Dscf0114  ある日曜日に伊勢湾に浮かぶ神島に行こうと決めて、土曜日の午後、近くの書店で三島由紀夫の『潮騒』(新潮文庫)を買った。夜、その本を読みながらインターネットで鳥羽から神島への船便を検索した。

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■能褒野に日本武尊を思う

 きょうは七夕。珍しく浴衣姿の子どもたちが多く町に出ている。笹流しがこの町では残っているのだ。                   
  先週、亀山市の能褒野という土地に行った。「のぼの」と読む。

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■木曽山中で切り出される式年遷宮の御神木

Imga0045  火曜日、木 曽の上松に行った。8年後、伊勢神宮で式年遷宮がある。神さまのお引っ越しは20年ごとにある。いつもすがすがしいところにお住まいいただくというのが趣 旨だそうで、1300年前の持統天皇の時に始まった。8年後に向けた造営に使う御神木を切る儀式「御杣始祭(みそまはじめさい)」が6月3日にあるため、 下見に行った。

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■三重県で起きていた山の崩壊

「昨年9月の台風21号で山が崩壊した現場がある」と聞いて、いつかこの目で見なければと思っていた。場所は三重県南部の紀伊長島町の赤羽川とその支流である三戸川の上流。ふだんは渓流釣りか林業関係者しか行かない。人家はないから“被害は”報告されていない。

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■新宮市に現れた徐福公園

 昨年11 月、熊野本宮を訪ねた帰り道、新宮市を走っていると徐福公園の道案内があって、あわててハンドルを右に切った。JR新宮駅の南側に朱色と黄色と緑色の“荘 厳”な門構えに出合う。紀伊半島のとったんの熊野古道の一角で、中国かと見まがう空間との出会いはショッキングである。

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■熊野に見えるもの

Dscf0097  90年代後半の数年間、京都に住みながら大阪に通うというぜいたくな暮らしをさせてもらい、古都を楽しんだ。寺院仏閣を含めて京都という空間に身を置いて、紐解く歴史がおもしろかった。

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■久居市の総電力を賄うことになる青山高原の風車群

 2週間前の週末、布引山地をドライブした。三重県を南北に走る屏風のように切り立った山塊である。標高は800メートル前後と決して高くはないが、古 来、伊勢国と伊賀国を隔ててきた。山の東側に降る雨は伊勢湾に流れ、西側は遠く大阪湾に達する紀伊半島の分水嶺は随分と東寄りにあるのだ。

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■体で覚えた災害を正しく怖がる難しさ

 これは一つの体験である。9月5日、大きな地震が三重県を襲った。大きな被害はなかったが、県民に地震の恐ろしさを十二分に伝えた。筆者の場合、それ以 降、揺れに対して体が異常すぎるほど過敏に反応するようになった。多くの県民も似たような状態にあるのではないかと思う。

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■志摩で見つけた熨斗紙の由来

Bs0082__200607021830_l  志摩半島のとったんに国崎という漁村がある。紀伊半島のでっぱりのいちばん東にあたる地で「くざき」と呼ぶ。この地名を目にしたとき、大分県の国東半島 と思い出した。国東半島もまた九州のいちばん東のでっぱりだった。こちらは「くにさき」と読む。古来こうやって地名の名付けが行われたのか思うと、少々感 慨をもよおさざるを得ない。
 

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■三重の海を潜る韓国人の海女

 驚いたのは韓国・済州島の海女が三重県で漁をしていると聞いた時である。三重タイムズの社長さんと話をしていた時である。熊野の沿岸でダイビングをしていた時、横で潜っていた海女たちが韓国語をしゃべっていたというのだから間違いないというのだ。

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■午前4時半に朔日餅でにぎわう伊勢の門前町

Dscf0080  きのう朝3時に起きて伊勢市に行った。仕事ではない。赤福の朔日(ついたち)餅を買いに行ったのだ。赤福餅は全国的に有名な土産のお菓子だが、月初めの一日だけ毎月それぞれ違う餅をつくっているのが朔日餅なのだ。

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■津市で大切にされる子どもたちの笹流し

20040701222_2    三重県は酷暑だ。誰かが地面が燃えているようだと言っていた。終業式は来週火曜日とはいえ、子どもたちは夏休みモードに入った。

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■伊勢で考えさせられる多神教存続の価値

   伊勢神宮の祭神については説明はいらないと思う。内宮の天照大神(あまてらすおおみかみ)と外宮の豊受大神(とよけおおみかみ)である。だが大方の予想に反して、この組織の正式名称は「宗教法人神宮」という。そこに伊勢の文字はない。

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■世界のKameyamaと早くもささやかれる人手不足

 2004年4月21日、亀山市でシャープの液晶工場の竣工式が行われた。これといって特徴もない片田舎の町に外国人を含めて100人を超えるメディアが集まった。驚い たのは三重県であり、地元の亀山市である。このあたりは畿央といって首都機能の移転候補地のひとつとなった地点である。首都機能移転はもはや風前のともし びであるが、その畿央が「Kameyama」ブランドで世界の耳目をひいている。

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■新しき村づくりに住民票移転という発想

 一年ほど前に地域振興の究極策として思い付いたアイデアがあった。その後、田中康夫長野県知事に先を超されて地団駄を踏んだ。過疎の村や町に住民票を移し、町村民税をその町村に捧げる運動である。


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■町村合併で消える松浦武四郎の出身地名

Takeshiro  1997年10月に「松浦武四郎が明治2年、エゾ地を北海道と命名した」というコラムを書いたことがある。三重県に来て分かったことは、松浦武四郎 (1818-1888)の出身地が現在の三重県一志郡三雲町だったことである。当時、どこの人であるかさえ無頓着だった。津市に住居を構え、その三雲町が 隣町であることに何かうれしさを感じている。

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■安濃津県と呼ばれていた三重県

Dscf0185_3  2004年2月1日で津支局長になり、三重県の住人となった。転勤が決まったとき、中学一年生の三男は「松阪牛がたらふく食べたい」といい、二男は「伊勢エビがい い」と言った。妻はミキモトパールの名前を上げた。小生は伊勢神宮と松阪商人をイメージしていた。自分が赴任するところがどうして三重県と呼ばれるように なったか気になった。

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