熊野を考える(2)
経済評論家で有名な故三鬼陽之助氏は尾鷲の出身だった。尾鷲も熊野の一部である。その尾鷲の西端の海岸線に三木浦という寒村がある。三木もその昔は「三鬼」だったから、たぶん陽之助氏の祖先は三木浦にいて、いつの時代か尾鷲に移ったはずである。三木浦の三木小学校の戦国時代、三鬼新八郎の居城があったところである。
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経済評論家で有名な故三鬼陽之助氏は尾鷲の出身だった。尾鷲も熊野の一部である。その尾鷲の西端の海岸線に三木浦という寒村がある。三木もその昔は「三鬼」だったから、たぶん陽之助氏の祖先は三木浦にいて、いつの時代か尾鷲に移ったはずである。三木浦の三木小学校の戦国時代、三鬼新八郎の居城があったところである。
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室戸市吉良川に漆喰(しっくい)壁の美しい町並みが残っている。
古くから林業が盛んだった。木材や炭を京阪神に売り込んで富を築いた。
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紀の国は木の国であり、鬼(き)の国でもある。つまり紀の国は木がたくさん繁っていて、鬼がいる土地柄ということになる。多くの本に書いてある。筆者の考えではない。イメージとしては、深い樹林が一帯をおおっていて、昼なお暗い。中上健次の世界でいえば『木の国、根の国』となる。ならば鬼ってのは何なのか。思いを語りたい。
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熊野牛王符というものがある。明治までごく普通に流通した。通貨ではない。証書の一種である。公証役場というものが現在残っているが、契約書をしたためる場合に公証役場は印を押した証書に書くことで社会的信用が増すのである。
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筆者 神宮司庁 石垣仁久
皇室第一の重事
南北朝時代、北朝年号の貞治2年(1363)という年に皇大神宮権禰宜の興兼(おきかね)が編纂した『遷宮例文』は、平安末期の長暦2年(1038)か
ら嘉元2年(1304)まで266年の間に5回行われた式年遷宮の貴重な記録を集めています。
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数日前、津市内のいきつけの喫茶店で「榧太郎生」という砂糖菓子を食べさせてもらった。「かやたろお」と読む。カヤの実のお菓子は初めてである。少しだけ渋味があるがなんとも上品な味だった。
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きょうは七夕。珍しく浴衣姿の子どもたちが多く町に出ている。笹流しがこの町では残っているのだ。
先週、亀山市の能褒野という土地に行った。「のぼの」と読む。
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「昨年9月の台風21号で山が崩壊した現場がある」と聞いて、いつかこの目で見なければと思っていた。場所は三重県南部の紀伊長島町の赤羽川とその支流である三戸川の上流。ふだんは渓流釣りか林業関係者しか行かない。人家はないから“被害は”報告されていない。
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昨年11
月、熊野本宮を訪ねた帰り道、新宮市を走っていると徐福公園の道案内があって、あわててハンドルを右に切った。JR新宮駅の南側に朱色と黄色と緑色の“荘
厳”な門構えに出合う。紀伊半島のとったんの熊野古道の一角で、中国かと見まがう空間との出会いはショッキングである。
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2週間前の週末、布引山地をドライブした。三重県を南北に走る屏風のように切り立った山塊である。標高は800メートル前後と決して高くはないが、古
来、伊勢国と伊賀国を隔ててきた。山の東側に降る雨は伊勢湾に流れ、西側は遠く大阪湾に達する紀伊半島の分水嶺は随分と東寄りにあるのだ。
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これは一つの体験である。9月5日、大きな地震が三重県を襲った。大きな被害はなかったが、県民に地震の恐ろしさを十二分に伝えた。筆者の場合、それ以 降、揺れに対して体が異常すぎるほど過敏に反応するようになった。多くの県民も似たような状態にあるのではないかと思う。
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驚いたのは韓国・済州島の海女が三重県で漁をしていると聞いた時である。三重タイムズの社長さんと話をしていた時である。熊野の沿岸でダイビングをしていた時、横で潜っていた海女たちが韓国語をしゃべっていたというのだから間違いないというのだ。
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伊勢神宮の祭神については説明はいらないと思う。内宮の天照大神(あまてらすおおみかみ)と外宮の豊受大神(とよけおおみかみ)である。だが大方の予想に反して、この組織の正式名称は「宗教法人神宮」という。そこに伊勢の文字はない。
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2004年4月21日、亀山市でシャープの液晶工場の竣工式が行われた。これといって特徴もない片田舎の町に外国人を含めて100人を超えるメディアが集まった。驚い
たのは三重県であり、地元の亀山市である。このあたりは畿央といって首都機能の移転候補地のひとつとなった地点である。首都機能移転はもはや風前のともし
びであるが、その畿央が「Kameyama」ブランドで世界の耳目をひいている。
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一年ほど前に地域振興の究極策として思い付いたアイデアがあった。その後、田中康夫長野県知事に先を超されて地団駄を踏んだ。過疎の村や町に住民票を移し、町村民税をその町村に捧げる運動である。
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