仏像との出会い

1968年8月、16歳の夏休み。両親が住むパキスタンの首都イスラマバードを訪れた。インダス川が形成するパンジャブ大平原の北限である。北には世界の嶺パミール高原がひかえるといえば大げさだが、イスラマバード周辺の山々パミールにつながると考えれば気宇壮大になる。建国20年を迎えたアユブカーン大統領が建設をはじめた新首都である。原野の中に白亜の政府ビルが建ち初めたばかりであたりはまだ建設の土音が響いていた。貧しさはあってもカオスをイメージするインド的バザールはない。

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観阿弥と芭蕉を生んだ伊賀の風土

Img_746686_58461236_1  伊賀は甲賀とともに忍者の里である。伊賀は律令制度下の伊賀国であるが、甲賀は近江国の一角である。行ってみるまでは実感はないが、ふたつの忍者の里は緩やかな山並みをはさんで南北に隣り合わせている。

 伊賀や甲賀がなぜ忍者の里になったのか、不思議である。忍びというからには、ともに山がちな地形を想像したくなるが、これがそうでもない。伊賀も甲賀も 盆地であり、豊かな田園が広がる。古代からの日本の幹線道である東海道は甲賀のど真ん中を貫き、伊賀の東北部を通る。だから決して人里離れた里ではなかっ た。そうと分かるとなおさら「なぜ」という疑問が強まる。

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海賊と九つの鬼たち

 津市に住んでいたころ、時々行っていた居酒屋に「海賊」という店があった。店の造りはどうみても居酒屋なのだが、大将は自分のことをシェフと呼ばせてい た。店の看板には西洋料理などと書いてあって大将はフランス料理が得意だというのだが、多くの客は信じていないからそんな料理は注文しない。

 刺身の後になんとかブイヤベースとかいわれたら一気に酔いが回りそうになる。一度だけ大将が勝手にビーフシチューをつくってくれたことがある。その時はまだビールしか飲んでいなかったから確かにうまかったのだが・・・。

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『潮騒』とゲータ祭と伊勢の営み

Kamisima2_2  2005年02月16日の日記である。まだ公開していない文章を紹介したい。

 日曜日に神島に行こうと決めて、土曜日の午後、近くの書店で三島由紀夫の『潮騒』(新潮文庫)を買った。夜、その本を読みながらインターネットで鳥羽から神島への船便を検索した。                         
                        
 一周しても一時間足らずの小さな島であるが、午前の便で着いたら、午後3時半にしか帰りの便がないことを知った。どうやって時間も過ごすのだろうと考え たが、行ってみると時間はそう余らなかった。 『潮騒』は一夜では読み切れなかったから、鳥羽からの船で続きを読み始めた。連絡船はポンポン蒸気に毛の生えた51トンの小さな船だった。224人乗りの 船に客は十数人だった。途中菅島に寄ったら、乗船客は名古屋からのアベックと僕だけになった。

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大黒屋光太夫眠る白子若松

 2月、氷雨が降る中、大黒屋光太夫のふるさとを訪ねた。津から伊勢若松まで近鉄列車に乗って、コンビニも食堂もない駅前を歩き始めた。金沢川を北に渡って小さな露地に入ると、「大黒屋光太夫の供養碑」という小さな目印があった。少し歩いた若松小学校の校庭にロシア服を着た小ぶりの光太夫像もあった。小学校に資料館もあったが、休日で休館だった。

 その後、立派な資料館が建てられ、町を挙げて光太夫を顕彰しているが、2004年の2月当時、光太夫を偲ぶよすがはそれだけしかなかった。

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南洋に飛躍した紀伊漁民

 三重県庁にあいさつに行くとパラオの話が出た。友好姉妹関係にあるのだ。クニオ・ナカムラ大統領の父親にあたる人が実は伊勢市の船大工で戦前にパラオに渡ったのだという。パラオには2002年に行ったことがあるので三重県が近いものになった。

 パラオはグアムからさらに飛行機に乗り継がなければならない。日本列島のほぼ南4000キロにある島国だ。第一次大戦で日本の委任統治領となって日本からの定期航路もできて発展した。戦前、パラオの巨大な環礁の内海は帝国海軍の泊地ともなっていた。1994年独立して、ナカムラさんが大統領になったくらいだから、日本人姓を持つ人も少なくない。

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飛鳥山と熊野をつなぐ800年

 飛鳥山について書きたい。JR王子駅の西側にある公園のキーワードは「飛鳥」と「王子」である。

 飛鳥山のサクラは八代将軍吉宗がサクラを植えさせ、庶民に開放したところから始まるのだが、この地になぜ「飛鳥」(あすか)の地名があるか。飛鳥 といえば、多くは奈良盆地の飛鳥を思い浮かべるのだと思う。現在、地名としては「明日香村」だが、昭和の大合併までは飛鳥村と表記した。

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松阪山中の奥墓

 しきしまの大和心を人とはば 朝日ににおふ山桜ばな

 あまりにも人口に膾炙された本居宣長のうた。国学の開祖の一人である宣長の墓は松阪市郊外の山中にある。生前自ら設計した通りにつくられ、そこに一本の山桜を植えるよう命じた。宣長が死んだのは1801年だからすでに200年以上の歳月が経つ。

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「あいうえお」の発明

 伊勢に赴任が決まった時、友人の平岩優さんが一冊の本をくれた。明治期、日本語の礎を築いた碩学、大槻文彦の生涯を描いた『言葉の海へ』(高田宏著、新潮文庫)だった。言葉の意味を50音順に並べた初の国語辞書『言海』を編集した人物との紹介があった。

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倭と大和と日本

 ヤマトタケルノミコトは別名、小碓命。景行天皇の皇子で日本神話の英雄として登場する。九州の熊襲を討伐し、次いで東の平定を命じられる。東征の途上、斎宮として伊勢の地にあった叔母の倭姫命を訪ね、「父は私に死ねというのか」と嘆く。倭姫命は伊勢神宮にあった天叢剣(草薙剣)を授けた。三種の神器の一つとされる。

 とまぁ、これは誰でもが知っている神話であるが、伊勢の地に住むと、日本という国の成り立ちが気にならざるを得ない。日本の国名で外国人が読めないだろう地名がある。最たるものは「大和」と「武蔵」だろうと思っている。「音」でも「訓」でも、どう逆立ちしても「やまと」だとか「むさし」とは読めないが、普通の日本人はほとんどが読めてしまうのである。

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宇治と山田

 伊勢市はかつては宇治山田町といった。宇治山田町は、明治22年の町制施行によって宇治と山田が合併して誕生し、同39年に宇治山田市となった。伊勢市と呼び変えたのは昭和30年のことである。宇治も山田も丘陵をはさんだ別の町なのである。

 天照大神を祀る内宮があるのが宇治で、豊受大神を祀る下宮があるのが山田である。別の町といったのは、水系が違うからである。宇治は五十鈴川のほとりにあり、山田は宮川と勢田川にはさまれた土地に発展した。

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旅の免罪符

 江戸時代には、神宮などといういかめしい呼称はなかった。単に「お伊勢さん」といって親しまれ、毎年、30万人から40万人の参拝客があった。天照大神とは知っていても、たぶん皇祖神という意識も希薄だったのかもしれない。

 国の出入りが厳しく制限された時代に、伊勢参りといえば、誰でも通行手形が発行されたのだそうだ。手形すら持たずに、突然伊勢参りに旅立つ人も少なくなかったとされる。ぬけ参りといって、店先で掃除をしていた丁稚が突然いなくなり、数ヵ月後に帰ってくるということがよくあった。そんな丁稚であってもお伊勢さんなら仕方がないという風情もあったという。

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宗教法人神宮

 津支局長となって最初の仕事は伊勢神宮へのお参りだった。2日後の日曜日に近鉄に乗って伊勢市に向かった。伊勢市駅を降りて、参道をしばらく歩くと大きな鳥居があってこれが伊勢神宮かと気付く。道案内は入らない。なんとそこは外宮といって豊受の神さまが祭られた社で、天照大神を祭る内宮はバスに乗っていかなければ行けないという。初めて内宮と外宮という二つの社があることを知った。ちなみにそれぞれ「げくう」「ないくう」と読む。

 伊勢神宮は天皇家の皇祖を祭る単なる神社ではないことは参拝をしたことのない人でも知っているが、内宮と外宮とあって、併せると125にも及ぶ社を抱えた巨大な神域であることは参拝して初めて知ることになる。これらの社は近隣市町村にまたがる約20キロ四方に点在する。20キロ四方といえば、東京都の23区部に匹敵する空間である。宗教装置としてはたぶん世界最大規模である。その広大な神域が1300年にわたり経営されてきたことに畏怖の念を感じざるを得ない。

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神戸と神田

 生まれ故郷の高知市に神田という地がある。「こうだ」と呼ぶ。市内を東西に流れる鏡川の南のかなり広い区域で、今は住宅地であるが、子どものころは鏡川が決壊したときの遊水地帯として田んぼだらけだった。東京にも下町に神田はある。少年時代から慣れ親しんだ地名であるが、三重にやってきて神田という地名が全国各地にあり、それぞれに特別の意味があることを知った。神社が所有する田んぼであり、収穫は神のものとされた。

 神戸の方は神社が所有した民で、三重県に三カ所ある。一カ所は鈴鹿市の伊勢神戸、もう一カ所は津市神戸、そして近鉄大阪線沿線の青山高原の麓に伊賀神戸駅がある。ともに「かんべ」と呼ぶ。鈴鹿市はサーキットとして世界的にも有名となっているが、地名としては新しい。昭和17年、神戸と白子など隣接する町村が合併して命名された。

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上賀茂の祖先はヤタガラス

 正月に京都の上賀茂神社を訪ねて驚いたことがあった。松村権禰宜によると鴨氏の先祖は八咫烏(ヤタガラス)だというのである。日本書紀によると、神武天皇の東征に当たり、熊野から大和に導いたのが3本足のカラス、八咫烏だったとされる。

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注連縄 蘇民将来子孫家門

Dscf0021a_3  ある村に二人の兄弟がいました。旅をしていた素戔嗚尊が一夜の宿を探していたところ、お金持ちの弟の巨旦(きょたん)はスサノオの汚れた身なりを見てことわりましたが、貧しい兄の蘇民将来は家に招き入れもてなしたため、スサノオは今後この護符をつけるように蘇民将来に教え、そのおかげで蘇民将来は疫病や災難を免れたといいます。

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高鴨神社

 高鴨神社(たかかも)

 御所市鴨神1110

 祭神  味治須岐高彦根命
 配祀 下照比売命、天稚彦命  
     または高鴨神

 由緒 この地は大和の名門の豪族である鴨の一族の発祥の地で本社はその鴨族が守護神として祀った。この神社付近には忍海漢人と呼ばれる渡来人系の韓鍛冶部が居住していた。剣や農器具(鍬など)を制作していた。風の強い地域であり古代の製鉄の場所であったと思われる。

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赤福の朔日餅

 賞味期限問題で販売を停止した赤福の朔日餅の復活は10月もない。9月10日の赤福のホームページでそう書かれている。

 多くのファンは復活の日を待ち望んでいます。

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花窟神社由緒書

鎮座地 熊野市有馬町上地130 祭 神 伊弉冉の尊、軻遇突智神 例大祭 春季2月...

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熊野を考える(3)

 9つの鬼を考えるヒントが東北にあった。八戸市は大きな都市で演歌にもたびたび登場する漁港がある。数年前に知り合った若松さんという人の出身地が九戸村であることを偶然知った。

「ということは一の二も三もあるんですか」
「四以外、一から九まで戸のつく地名があります。旧南部藩にある地名です」

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熊野を考える(2)

 経済評論家で有名な故三鬼陽之助氏は尾鷲の出身だった。尾鷲も熊野の一部である。その尾鷲の西端の海岸線に三木浦という寒村がある。三木もその昔は「三鬼」だったから、たぶん陽之助氏の祖先は三木浦にいて、いつの時代か尾鷲に移ったはずである。三木浦の三木小学校の戦国時代、三鬼新八郎の居城があったところである。

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吉良川に富をもたらした紀伊の備長炭

室戸市吉良川に漆喰(しっくい)壁の美しい町並みが残っている。
古くから林業が盛んだった。木材や炭を京阪神に売り込んで富を築いた。

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熊野を考える(1)

 紀の国は木の国であり、鬼(き)の国でもある。つまり紀の国は木がたくさん繁っていて、鬼がいる土地柄ということになる。多くの本に書いてある。筆者の考えではない。イメージとしては、深い樹林が一帯をおおっていて、昼なお暗い。中上健次の世界でいえば『木の国、根の国』となる。ならば鬼ってのは何なのか。思いを語りたい。

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むかしの公証証書だった熊野牛王符

熊野牛王符というものがある。明治までごく普通に流通した。通貨ではない。証書の一種である。公証役場というものが現在残っているが、契約書をしたためる場合に公証役場は印を押した証書に書くことで社会的信用が増すのである。

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■ダイダラボッチと世田谷代田

20070912_waraji_3  職場で「ダイタラボッチ」を話題にしていたら、横の編集スタッフが「世田谷代田」の「代田」の由来がくだんのダイダラボッチだと言い出した。
「うそだと思ったら、サイトを見てごらん」という。
 まさかと思ったら、どうやらそういう言い伝えがあるらしいのだ。

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■小嶋千鶴子さんが到達したパラミタの世界

Dsc_0053  伊勢にやってきて2年半となったが、来月この地を去ることになった。多くの人にどこがよかってですかと聞かれる。自然でいえば、伊勢神宮の杜と熊野古道の風景となる。人間がつくったものでいえば菰野(こもの)町のパラミタ美術館の存在が圧倒的だった。

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■一日神領民として参加した遷宮のお木曳き

Dsc_0128  2006年5月6日、一日神領民となって伊勢神宮でお木曳き行事に参加した。
 昨年6月、木曽山中で切り出した神木を伊勢神宮まで運び入れて以来、7年後の式年遷宮に使う神木が次々と伊勢市に集まっている。125の社と鳥居すべて を建て替えるのに全部で1万本のヒノキが必要とされるから膨大な量だ。

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■日永追分から白子まで歩いて考えたこと

Img_4268  2006年4月16日の日曜日、伊勢街道を一人歩いた。東海道からの分かれ目となる四日市市の日永追分から鈴鹿市神戸(かんべ)を経て白子までの約15キロである。旧道の半分は農村部であるが、残りの半分はくねくねと往事をしのばせる古い家並みがいまも残る。

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■神武天皇から飛行艇に飛躍する

Img_4182  紀州・賀田の宿の二階から久々に荘厳な朝焼けを見た。早起きはするものだ。刻々と変化する東の空に季節感はないが、やはり春の息吹を感じさせるものがあった。というより、紀伊半島の南端はそもそも暖かいのだ。

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■伊勢の国津神は神風という思い

Dscf0016_2  三重県に来 てから2年が過ぎた。一番多く訪れたのはやはり伊勢神宮である。平均すれば月に2回は訪ねている。内宮を参拝するとき、必ず別宮の風日祈宮(かぜひのみの みや)にも立ち寄る。風日祈宮は五十鈴川の辺にあり、風の神さまである級長津彦命(シナツヒコノミコト)を祀る。外宮にも風宮があり、同じシナツヒコを祀 る。

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■遷宮の本義-再生の遺伝子

筆者 神宮司庁 石垣仁久

 皇室第一の重事
                        
 南北朝時代、北朝年号の貞治2年(1363)という年に皇大神宮権禰宜の興兼(おきかね)が編纂した『遷宮例文』は、平安末期の長暦2年(1038)か ら嘉元2年(1304)まで266年の間に5回行われた式年遷宮の貴重な記録を集めています。

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■日本の祭の原点を見せる尾鷲のヤーヤ祭

Img_4132_2  朝起きると一面の雪。昨夜から大寒波が列島を襲っている。午後3時、支局の後輩と津を発って尾鷲のヤーヤ祭を見に行った。尾鷲には5時ごろ着いた。
  町は静かな面持ちでどこで祭があるのか分からない。尾鷲神社で法被を着ていた男性に聞いた。
 

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■津が誇る陶工、川喜田半泥子

860  川喜田半泥子(1878-1963)という陶工が津にいた。土をこねて焼くことを生業としていた訳ではないから、正確にいうと陶工ではない。土をこねる芸術家だ。 

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■砂糖菓子「榧太郎生」と久子さん

 数日前、津市内のいきつけの喫茶店で「榧太郎生」という砂糖菓子を食べさせてもらった。「かやたろお」と読む。カヤの実のお菓子は初めてである。少しだけ渋味があるがなんとも上品な味だった。

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■民間人が郵便配達する伊勢湾の神島

Dscf0114  ある日曜日に伊勢湾に浮かぶ神島に行こうと決めて、土曜日の午後、近くの書店で三島由紀夫の『潮騒』(新潮文庫)を買った。夜、その本を読みながらインターネットで鳥羽から神島への船便を検索した。

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■能褒野に日本武尊を思う

 きょうは七夕。珍しく浴衣姿の子どもたちが多く町に出ている。笹流しがこの町では残っているのだ。                   
  先週、亀山市の能褒野という土地に行った。「のぼの」と読む。

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■木曽山中で切り出される式年遷宮の御神木

Imga0045  火曜日、木 曽の上松に行った。8年後、伊勢神宮で式年遷宮がある。神さまのお引っ越しは20年ごとにある。いつもすがすがしいところにお住まいいただくというのが趣 旨だそうで、1300年前の持統天皇の時に始まった。8年後に向けた造営に使う御神木を切る儀式「御杣始祭(みそまはじめさい)」が6月3日にあるため、 下見に行った。

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■三重県で起きていた山の崩壊

「昨年9月の台風21号で山が崩壊した現場がある」と聞いて、いつかこの目で見なければと思っていた。場所は三重県南部の紀伊長島町の赤羽川とその支流である三戸川の上流。ふだんは渓流釣りか林業関係者しか行かない。人家はないから“被害は”報告されていない。

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■新宮市に現れた徐福公園

 昨年11 月、熊野本宮を訪ねた帰り道、新宮市を走っていると徐福公園の道案内があって、あわててハンドルを右に切った。JR新宮駅の南側に朱色と黄色と緑色の“荘 厳”な門構えに出合う。紀伊半島のとったんの熊野古道の一角で、中国かと見まがう空間との出会いはショッキングである。

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■熊野に見えるもの

Dscf0097  90年代後半の数年間、京都に住みながら大阪に通うというぜいたくな暮らしをさせてもらい、古都を楽しんだ。寺院仏閣を含めて京都という空間に身を置いて、紐解く歴史がおもしろかった。

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«■久居市の総電力を賄うことになる青山高原の風車群